先週の礼拝説教アウトライン 2026年3月8日
- minamiyoshinari415
- 2022年11月20日
- 読了時間: 6分
更新日:2 日前
この説教の音声は本ホームページ「説教視聴」サイトで聴くことが出来ます。このアウトラインを合わせてぜひお聞きください。福音の説教の音声を聞くすべての人の上に祝福が豊かにありますよう、お祈りいたします。
2026/03/08 仙台南吉成キリスト教会 主日礼拝説教:主任牧師 銭谷幸器
王なるイエス~マタイ福音書講解説教(29) アウトライン
山上の説教②「マカリオイ~幸いなるかな~」マタイ5章3~10節
Ⅰ.天の御国の王はどんな王?
皆さんは「相手が自分のことをどう思っているのか」気になったことがないでしょうか?天の御国の王であるイエス様は私のことをどう思っているのか…それを教えてくれているのが今日のみ言葉です。イエス様は「天の御国は近づいた」(4章17節)と語り、暗闇にあえぐ人々に接近しました。イエス様は罪と死と悪魔の支配から私たちを解放し、ご自分の国に入れて下さいます。分かりやすく言えば、イエス様が私たちの王様になって下さり、永遠にいたるまで祝福の中において下さいます。イエス様を信じた者は今、もう天の御国に入っているのです。そして地上の生涯が終わっても天の御国におり、やがて完成した御国に永遠のいのちにいきるのです。では、その天の御国とはどのような国なのでしょう?それは幸せについての8つの言葉(8福)「幸いなるかな(ギリシャ語:マカリオイ)」に現れています。これは、「おめでとう!」「あなたはなんとうらやむべき立場にあることか!」等のニュアンスの言葉です。その理由は、あなたがもう天の御国の民になっていて(3節、10節)。つまり、王であるイエス様の恵みの支配の中に置かれているからです。いつも私の幸せを考え、いつも私の幸せのために行動を起こして下さる。このような王のもとに身を寄せているから「幸いなるかな」といわずにはいられない。それが天の御国の民なのです。「イエスは私のことをどう思っているの?」イエス様は私を祝福したいと考えているのです。この世界、地上の人生には苦しみがあります。でもイエス様が私の王なのです。そしていつも私たちのために行動して下さっているのです。
Ⅱ.天の御国の王の宣言「マカリオイ」
今日、幸せと言える何かをもっているでしょうか?それは自分で掴み取ったものでしょうか?その幸せは、よく考えてみると、誰かがあなたのために戦ってくれた結果、生きてくれた結果ではないでしょうか?幸せは誰かの犠牲、あなたのために戦ってくれた誰かの贈り物なのです。天の御国の王はまさにあなたの幸せのために戦って下さる王なのです。
今日、ひとりで戦っているような感覚になっていなかったでしょうか?生きるが辛く、もう死んでしまいたいと思っていなかったでしょうか?
あなたはひとりではありません。イエスは今、この瞬間もあなたのことを思い、あなたのために戦って下さっているのです。イエス様が私のために戦って下さっている、そのことが分かれば簡単に人生を投げ出すことなどできなくなるのです。
「マカリオイ」と口ずさみましょう。そして原語の響きの中「王であるイエス様が私の幸せのために、今日も…」王が私に対して抱いて下さっている思い、決意を味わいましょう。周囲に苦しんでいる人はいないでしょうか?私たちも小さなキリストになりましょう。家庭、教会、社会において暗闇の中にある人々のために戦いましょう。イエスが私のために戦って下さったように!
〔参照 山上の説教講解説教① 3月1日の説教〕
2026/03/01 仙台南吉成キリスト教会 主日礼拝説教:主任牧師 銭谷幸器
王なるイエス~マタイ福音書講解説教(28) アウトライン
山上の説教①「天の御国~心は福音、生活は律法」マタイ5:1~3
Ⅰ.心が生活になる
世界には色々な国があり、色々な生活があります。では「天の御国(キリスト者)」の人々はどんな生活をしているのでしょうか?今、生活の悩みはないでしょうか?私たちにイエス様が生活を教えて下さった、それが山上の説教(マタイ5~7章)です。イエス様は天の御国を打ち立てるためにこの世に来られました。そして天の御国の到来を「福音」として人々に伝えたのです(4章17節)。罪と死と悪魔の力にあえぐ私たちにイエス様は近づいて下さいます。そして私たちを暗闇の支配から解き放ち、イエス様の恵みの支配の中に入れて下さるのです。分かりやすく言えば、イエス様が私たちの王になって永遠の祝福の中において下さるのです。天の御国は地理的な国ではありません。イエス様を信じたすべての者は時代と場所を超えてイエスの王国にいるのです。そしてその王国は永遠に続きます。ここに「地上の生活」という概念がうまれます。私たちはこの地上にいながらも、天の御国の民として生活をするのです。その生き方が山上の説教です。しかし大事なのは、外面的なことから入ってはいけないということです。イエス様は「心」(3節)の話から始めました。心が生活になる、これをイエス様は分かっています。イエス様は外面的な生活を教える前に、新しい心を与えます。その心こそ「福音」なのです。今日もイエス様が私に近づいて下さる。私を支配しようとする暗闇とイエス様が戦って下さる。そのことが心にいっぱいになることです。その時、私たちは初めてイエス様の望む生活をしたいと思うようになります。そのイエス様の望む生活が律法(十戒)なのです。心は福音、生活は律法。これが天の御国の民の姿なのです。
Ⅱ.心は「いつも」福音で!
今日、外面的な生活の改革に腐心していなかったでしょうか?まずは心です。そしてその心は、律法に支配されていなかったでしょうか?例えば「自分がダメなクリスチャンだから神は自分を祝福できないのだ」と考えていなかったでしょうか?これは律法に縛られています。あるいは「神は自分に罰を与えている」「自分は神に見捨てられている」と考えていなかったでしょうか?これもまた律法に縛られた心です。そして間違った希望に生きていなかったでしょうか?「自分がもっといいクリスチャンになれば神は祝福して下さる」と考えていなかったでしょうか?
ぜひ、原点に帰りましょう。私たちは神の愛顧を買うために努力をしなければならなかったのでしょうか?私たちの行いで神の愛顧を引き出そうとするのが救いだったのでしょうか?私たちは、親の愛を買うために努力しなければならない、そういう子供だったのでしょうか?
そうではなかったはずです。私たちが罪深く、神に背を向けているときにイエス様は十字架にかかってくださったのです。私たちが最低の姿をしているときに主は愛して下さったのです。私たちが暗闇の中に座している。それだけで、主イエスが私たちに駆け寄るのには十分な理由だったはずです!
原点に戻りましょう。天の御国は近づいた。あなたが暗闇の力に苦しんでいる、それだけで十分な理由です。イエスはあなたに近づいて下さいます。今日も主イエスは私たちのために働いてくださっています。今、この瞬間も私たちのために戦っていて下さるのです。聖霊は福音で満ちた新しい心を下さいます!心を福音でいっぱいにして頂きましょう!そこから新しい生活が生まれます。
周囲に生活が行き詰っている人はいないでしょうか?その人の生活や環境を変えることに終始し、肝心のその人の内面が変わることを忘れていなかったでしょうか?心が生活になるのです。ぜひ福音を語り新しい心へと導きましょう。外面的変化の前に内面的変化が先立つのです。



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