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2023年5月7日礼拝説教「愛の循環(第一ヨハネ4章)」アウトライン  銭谷幸器

更新日:6月18日

 今週の説教の音声は本ホームページの「説教視聴」サイトで聴くことが出来ます。このアウトラインと合わせてお聞きください。礼拝説教を聴く方々に福音の恵みが豊かにありますよう、心からお祈りしております。


2023/05/07 仙台南吉成キリスト教会 主日礼拝 説教:主任牧師 銭谷幸器

子ども祝福説教「愛の循環」第一ヨハネ4章10~11節 アウトライン

Ⅰ 愛の循環への招き

 皆さんの人生の中で「あの人がもっと自分のことを愛してくれれば良かったのに…」そう思ってしまう人がいるでしょうか。「親がもっと自分を愛してくれていればこんな人生にならなかった」。先生が、夫が、妻が、恋人が、友人がもっと自分を愛してくれていれば…その魂の叫びは切実です。思ったように愛してもらえなかった傷。この痛んだ魂を主はどのように扱ってくださるのでしょうか。今からでも私たちの人生は愛に満ちたものに変えられていくことが可能なのでしょうか。


 ヨハネの手紙は愛について教えている書です。使徒ヨハネの教会はユダヤ人やギリシャ人との摩擦を経験していました。愛してくれていた人が愛してくれなくなる。愛せそうだと思った人がやはり愛せなかった。このような混乱を経験していたのです。


 このような中で何をどう始めたらよいのでしょう。使徒ヨハネの答えは明確です。「互いに愛し合いなさい」(7節)。愛の問題は愛だけが答えなのです。ここで注目すべきは、愛が双方向で語られていることです。一方通行の愛ではなく互いに愛し合うことが目標です。愛することと愛されることは不可分です。他者を愛した人が愛され、多くの愛を受けた人は他者を愛そうとする。私たちもそんな様子を見聞きしたことがあるはずです。実に愛は循環(ループ)する性質があるのです。このループに入っている人は幸せと言えるでしょう。

 誰だって隣人と愛し、愛される関係になりたいと思います。要するに愛の循環(ループ)に入りたいと願うのです。しかしここには難しさがあります。①愛せば愛されるのに愛せない。②愛されたら愛せるのに愛してもらえない。③愛したのに愛が返ってこなかった。④愛されたのに愛せない。愛のループに入りたいと願いながらも、大体このような葛藤を覚えて愛のループに入れずにいるのではないでしょうか。愛の循環は分かった。ではどうしたらこの循環に入ることができるのか。それが私たちの関心であり、課題であるでしょう。


Ⅱ 愛の循環への入り口

 使徒ヨハネは愛が循環することを知っているだけではありません。ヨハネは愛の循環の入口をも明記しています。愛の循環の入り口は「神の愛」なのです。私たちが神を愛したのではなく、神がまず私たちを愛して下さいました(10節)。愛は私たち人間から始まるのではありません。


ここでは神が一回の行為で愛を示したと語られています(原語は過去形)。それは十字架です。神は私たち罪人のために御子イエス・キリストを送り、私たちの罪を十字架で赦して下さったのです。それは私たちの良い所だけを見て愛したのではないということです。私たちの悪い所を全て知り、その上で愛して下さったのです。つまり愛されるために一生懸命努力して獲得する愛とは全く別物ということです。神に愛されるための努力は不要です。もう愛されている。ここが愛の循環の入り口であり、ここから循環が始まります。①罪びとなのに神に愛された。②神に愛されたので自分も隣人を愛する。③だから隣人に愛される。このような愛の循環にあなたも入ることが出来るのです。


 私たちは一つの根強い誤解がありかもしれません。それは人に愛されるのは特別な人だけだという思い込みです。生まれ持った特別な能力や魅力のある人だけが愛されると思っていなかったでしょうか。自分は永遠に愛されるキャラにはなれないと思っていないでしょうか。今日のみことばによればこれは全く誤っています。神に愛されたことが愛の循環の起点です。神はすべての人を愛しています。だからあなたも愛の循環に入ることができるのです。主はあなたも愛のループに入り、愛し愛される人生を送ることができるといっておられます。クリスチャンの皆さんにはもう一つの誤解があるかもしれません。それは「人には愛されなくても神は愛されている」というところで止まることです。人に愛されることを切り捨ててしまっていないでしょうか。主は、互いに愛し合えるように御子を下さったのです。だからあなたは神との間の愛だけではなく、人と人の間においても愛を経験できるのです。あなたは「ループ」に招かれているのです。


 今日、私たちは、努力によって神の愛を獲得することをやめましょう。それが最初の一歩です。神に愛されるために努力する。これをやめること、そしてすでに神に愛されていることを信じること。そこに立ちましょう。悪魔は、「あなたは〇〇が出来ていないから神には愛されない」「あなたが〇〇なクリスチャンになったら神に愛されるでしょう」と嘘をつくでしょう。しかし、もう愛されているのです。

 そして、神に愛されたことが分かれば、あなたから隣人への愛が芽生えます。その愛がまず誰に向かっていくのか、私たちは大きな期待を寄せましょう。いきなり敵や、皆さんを憎んでいる人を愛することをヨハネは想定していないようです。使徒ヨハネは兄弟姉妹と愛し合うことを勧めています。すなわち、一番近い隣人への愛を説いているのです。愛は池に投げた石による破門のように同心円状に、そして時間とともに遠くへ広がっていくでしょう。愛の循環の入り口の先にあるのは、一番近い人たちへの隣人愛です。

「もっと愛されたかった」という傷。主がそれを癒してくださり、今日から、今から愛し愛される愛の循環の人生を送れますように。






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