今週の礼拝説教アウトライン 2026年10月11日
更新日:2 日前
この説教の音声は本ホームページ「説教視聴」サイトで聴くことが出来ます。このアウトラインを合わせてぜひお聞きください。福音の説教の音声を聞くすべての人の上に祝福が豊かにありますよう、お祈りいたします。
2026/10/11仙台南吉成キリスト教会 主日礼拝説教:主任牧師 銭谷幸器 アウトライン
「たったひとつのこと~就任20周年を感謝して」マタイ2章11節
私が仙台南吉成教会の副牧師に就任してから20年となりました(2006年10月8日就任式)。当教会の牧師に選ばれたこと、愛する皆さんと一緒に歩めたことは生涯最大の祝福でした。これまで支えて下さったことを心から感謝いたします。20年の間、常に問いを発していました。教会とは?牧師とは?でもどんな問いを発したとしても、いつも同じ答えに導かれるのです。それは「たったひとつのこと~神はイエス・キリストを通して祝福して下さる」。何があってもイエスのところへ行けばいい、それを確信した20年でした。
Ⅰ.たったひとつのこと~神はイエス・キリストを通して人類を祝福する
聖書は確かに「たったひとつのこと」を教えています。それは、神はイエス・キリストを通して人類を祝福するということです。この東方の博士の礼拝の箇所こそそのことを教えているみことばです。
イエスがお生まれになった時、東方の博士がやってきて礼拝しました。神はイエス・キリストを通して人類を祝福するのです。その祝福はイエスの王権です。博士はイエスを王として仰ぎます。イエスは私達を罪と死と悪魔の支配から救い出し、天の御国、ご自分の恵みの支配の中に入れて下さいます。ではどうしたらこのイエスと関係を持てるのでしょうか?それは信仰です。説教と洗礼と聖餐を通してイエスは私たちに近づいて下さいます。それを信仰で受け取ればいいのです。イエスはどんな人も天の御国に入れて下さいます。
Ⅱ.証「たったひとつのこと」
私はクリスチャンの両親のもとに生まれ、洗礼を受けました(洗礼を受けた日と牧師に就任した日が同じ10月8日でした。洗礼は1978年10月8日、就任は2006年10月8日です)。子どもの頃からイエス様について教えられ、私もイエス様が大好きで信頼していました。私は「たったひとつのこと」を知り、そのことを大切に握っていた子ども時代を送りました。
しかし、私の人生の中でこの「たったひとつのこと」から離れてしまった時間がありました。中学校、高校時代のことです。部活や勉強に忙しく礼拝に行かなくなったのです。外面的な充実とは裏腹に心が渇いて行きました。様々な目標を掲げ「あそこに達すれば幸せになれる」と思い努力をします。しかし、そこに達しても見たかった景色は見ることが出来ません。到達するとそこは頂上ではなく、まだ中腹なのです。例えば、欲しい物を手に入れてもすぐに次が欲しくなります。高校受験が終われば、大学受験が来ます…すぐに次の頂上が現れるのです。「これが手に入れば…」と思ったものが手に入ってもそこで満足できない自分がいるのです。目標と努力は尊いことです。しかし問題は私の心です。どうして「これで十分」と思えないのでしょうか。人生の中で「これで十分」と思える日が来ないまま死んでいくのではないかと思うと恐ろしくなりました。
高校三年生になり、部活を引退して少し余裕が出てきました。そしてある日、久しぶりに教会に行きました。そこで聖書の言葉に出会いました。「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇46篇1節)。泣きたくなる思いが込み上げて来て必死で耐えました。そして帰宅して自分の部屋に飛んでいき、ひざまずきました。「あなたは私から離れて幸せになれたのか?帰ってきなさい。」と主の声を聞いたのです。私は今までの生き方を悔い改めました。そして大学に入ったら礼拝に戻ると主に約束しました。
大学に入り、約束通り礼拝に戻りました。すると全てが変わりました。人生が主の贈り物で満ちるのです。イエスが私を喜び、常に贈り物で自分の人生を満たして下さることが分かるのです。「イエス様は次に何をして下さるのだろう?」期待と希望に満ちた自分がいます。あんなに満たされなかった自分が幸せを感じているのです。私は「たったひとつのこと」に戻ったのです。満ち足りた心を下さったイエスに私の生涯を捧げたいと思い、大学4年生の時に献身を決意しました。牧師になってからはこの「たったひとつ」を語る喜びが与えられました。イエスの話をすると目の前の人が祝福されていく…今はそのことが幸せなのです。
今、困っていることがあるでしょうか。問題の大小が問題ではないのです。たったひとつのことを知っているかどうかが問題です。神はイエスを通してあなたを祝福して下さいます。だからイエスのところに行きましょう。この「たったひとつのこと」を誰よりも知っている、そんな教会としてこの仙台の街に立っていきましょう!
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