今週の礼拝説教アウトライン 2023年9月24日銭谷幸器
更新日:4 日前
この説教の音声は、本ホームページの「説教視聴」サイトで聴くことが出来ます。このアウトラインと一緒にお聞きください。この説教を聴く人すべての上に福音の恵みが豊かにありますように。
2023/09/24 仙台南吉成キリスト教会 主日礼拝説教:主任牧師 銭谷幸器
「恵みの管理者①」ヨハネ福音書12章1~8節 アウトライン
Ⅰ ナルドの香油~表現された新しいいのち~
信仰は経済的な不安から私たちを救い出します。信仰によってイエス様とつながることで、新しいいのちにおける新しい経済の営みが始まるからです。その美しいモデルがベタニヤのマリヤです。イエスがベタニヤで晩さん会に出ていると、マリヤはイエスに高価なナルドの香油を注ぎました(300グラム=300デナリ=労働者の日給の300日分)。これを見たイスカリオテ・ユダは彼女を非難しました。しかしイエスはマリヤの行為を全面的に肯定し、喜ばれたのです。なぜマリヤはナルドの香油を注いだのでしょう?その答えが「葬りの日」(7節)という言葉です。誰よりもイエスの説教を聴くことに熱心だったマリヤは、イエスが自分のために十字架にかかろうとしていることを知ったのでしょう。イエスの十字架と出会ったいのちは、黙っていられなくなるのです。お金とは何でしょうか。ひとつの重要な面は、お金は、その人の人生に誰がいるのかを表しているということです。何にお金を使うのかは、その人生に「誰がいるのか」ということと不可分なのです。マリヤにとってイエスが大切な方になったからこそナルドの香油を注いだのです。もしマリヤにとってイエスがどうでもいい存在なら香油は注がなかったでしょう。何にお金を使うのかは、「誰が」その人の人生にいるかを表しているのです。主イエスを信じた者は新しいいのちが与えられます。そのいのちは、十字架のイエスに感謝し、感謝を捧げたくなる、そんないのちなのです。「クリスチャンだから献金をしなければいけない」という律法のレベルではないのです。いのちそのものが、いのちのレベルで、自然に、当たり前のようにイエスにお返ししたくなるのです。
小学校の時、母の日が近づくと学校でカーネーションの販売がありました。注文した数だけ、当日に花屋さんが学校に持ってきて下さるのです。それを受け取って、母親に渡す。これはとても幸いな経験でした。母がどんな反応をするのか、楽しみだったのです。これは自分の人生に母親がいるからです。自分の人生に母がいて、その母に感謝をする。これは当たり前のこと、自分のいのちから自然に生まれてくる行動なのです。ここには無理もなく、負担もなく、ただ当たり前のことなのです。これと同じように、主イエスの十字架を知ったものは、いのちの自然な流れとしてイエス様にお返しをしたくなるのです。だから、新しいいのちを持ったものは、その経済の営みに「ナルドの香油」が現れて来ます。対照的なのはユダです。ユダはイエスのためにお金を使うのは勿体ないといいました。新しいいのちを持たない者にとっては「ナルドの香油」はナンセンスなのです。
Ⅱ ナルドの香油を喜ばれたイエス~新しいいのちに逆らわない~
イエスを信じた者は恵みの管理者になります。自分の必要の管理。隣人の必要の管理。そして、イエスのために、イエスの必要のために捧げるということが当然のこととして起きてくるのです。
イエスは「彼女のするがままにさせなさい(直訳)」と言いました。イエスは、マリヤの人生の中にしっかりとご自分がいることを喜ばれたのです。皆さんの人生にも、イエスを信じ、ナルドの香油が生じて来たことでしょう。そのナルドの香油をイエスは喜ばれました。イエスは私たちのために十字架で死んで下さいました。そこから生じる自然ないのちの反応なのです。だからこれまでの皆さんの歩みは間違っていません。これまで、皆さんが、イエスに捧げたくなり、家計の一部を取り分けて捧げて来たことは間違っていないのです。
ユダの声を相手にしてはいけません。母にカーネーションを買う子供に「そんなことは無駄な使い方だよ」という人がいても、それは母と子のつながりを知らない者の言葉でしょう。その人は私の母とは関係ない人です。だから私がカーネーションを買うことが無駄にみえるのです。私は母を知っており、私は母とつながっています。そのつながりを持っていない人が、私に語る声に従うことに意味はありません。ユダはイエスとつながっていないのです。イエスのゾーエーを持っていないのです。イエスとつながりのない人が「イエスに捧げるのは勿体ない」といっても、イエスとつながっている私には彼の言葉は意味をなさないのです。「あなたは私がどれだけイエスに愛されたのかを知らない。私がイエスにお返しをすることの意味は分からないでしょう。私とイエスの関係を邪魔しないでください!」これがユダに対する私たちの答えなのです。イエスとつながったいのち(ゾーエー)を持たない者には「ナルドの香油」は理解出来ません。
皆さんはユダの声が聞こえてこないでしょうか。イエスに捧げようとすると、心のうちに、私たちの耳に「勿体ない」という言葉が聞こえてこないでしょうか。その声に従ってはいけません。むしろ、あなたの新しいいのちから湧き出てくる言葉に耳を傾けて下さい。ユダの声を相手にせず、ナルドの香油を捧げることにブレーキをかけてはいけません。。新しいいのちに導かれるまま、「するがままに」、イエスに捧げましょう。恵みの管理者として①自分の必要、②隣人の必要、③イエスの必要を賢く分配しましょう。。
