先週の礼拝説教アウトライン 2025年5月11日
- minamiyoshinari415
- 2022年11月20日
- 読了時間: 4分
更新日:12 分前
この説教の音声は本ホームページ「説教視聴」サイトで聴くことが出来ます。このアウトラインを合わせてぜひお聞きください。福音の説教の音声を聞くすべての人の上に祝福が豊かにありますよう、お祈りいたします。
2025/05/11 仙台南吉成キリスト教会 主日礼拝 説教者:主任牧師 銭谷幸器
アウトライン
子ども祝福礼拝「この世界に生きる意味」ルカ2:41~52
Ⅰ この世界と神の御子
「赤鼻のトナカイ」という童謡があります。真っ赤な鼻のトナカイは皆の笑いものでしたが、サンタさんはそのトナカイの存在に尊い意味があることを告げるのです。この世に生きる辛さの一つは自分が不要な存在だと思うことではないでしょうか?主イエスはこの恐ろしい思いから私たちを救ってくださいます。聖書で唯一、イエスの少年時代を記した箇所が今日の箇所です。ユダヤでは一年に一回、エルサレムに礼拝に行くことが奨励されていました。イエスが12歳の時、家族で巡礼に行きましたがイエスは行方不明になります。両親はイエスを探し、神殿にいるイエスを発見します。両親にとがめられるとイエスは「自分は自分の父の家にいた」という謎の言葉を発したのです。この言葉は、12歳のイエスがすでにメシヤの自覚を持っていたことを現しています。罪で壊れたこの世界…その世界をひとりで背負う覚悟を12歳の少年がすでに持っていたのです。子ども時代のエピソードは、その人の人がらの本質を現していることがあります(例:ジョージ・ワシントンの桜の木)。このイエス12歳の記事は、イエスの本質を現しています。すなわちイエスはこの世界を子ども時代から背負い続けていたのです。この世界の罪をたったひとりで何とかすることを自分の使命としたのです。そしてイエスはそのまま大きくなり、十字架についてくださいました。そして復活した今も、12歳の時から何も変わっていません。今日もこの世界を、この世界に住むひとりひとりを愛し、今日も背負い続けているのです。私たちは「神は私を見捨てたのではないか?」とか「神は私に関心を持っていない」ということを口にします。しかし、イエスはあの日から何も変わっていません。この世界を、私たちを背負うことを思いっきり自分の使命としてきたこの方は、今日も私たちを担い続けています。イエスが私たちを見捨てるなどありえないことなのです!
Ⅱ この世界と神の子(キリスト者)
自分の存在に意味はあるのか…この問いにも答えが与えられます。私たちイエスを信じた者も神の子どもです。神の子イエスが罪で壊れた世界を背負うために生まれたのと同様に、私たち神の子もこの世が罪で崩壊しないように戦う使命を与えられているのです。
この世界で神が私たちを通して罪の悲惨から救いたいと考えている人がいます。もう少しわかりやすく言えば、あなたしか助けることが出来ない人がいるのです。この広い世界のどこかに、あなたしか幸せにすることが出来ない、そんな人がいるのです。だから、私たちのいのちは無意味ではありません。
今日、自分はいらない存在だという恐ろしい思いに捕らえられていなかったでしょうか?誰かに拒絶されたことはないでしょうか?その拒絶が、いつしか嘘が真になってしまって、あなた自身も自分がいらない存在だと思い込んでいなかったでしょうか?
あなたが誰に何を言われたとしても、神はあなたを必要だといっています。いらない神の子などひとりもいないです。かけがえのない神の子として、ここに生かされていることを今日、心に刻みましょう。今日、自分はいらないという恐ろしい思いから自由にされましょう。誰一人、自分の存在を疑わない。誰もが自分のいのちの意味を確信している。それが仙台南吉成教会です。
今日は母の日です。命をかけて子どもを産み、日々、自分を犠牲にして子どもを育て続けているお母さんたち、本当にお疲れ様です。私自身も子育て中、現在進行形ですが、いつも自分の罪深さや親としての足りなさを感じ、子どもに申し訳ないという思いを抱いています。子どもを育てるのは楽な使命ではありません。しかし神は見ていてくださいます。誰が注目してくれなくとも、ひとりの人間を育てている…その姿は神に覚えられているのです。
子育ては無意味ではありません。私たちが育てている子どもは神の意志と使命を込められたかけがえのないいのちなのです。この罪の世界にあって、この子しか果たすことが出来ないことがあるのです。この子しか助けることが出来ない人たちがいるのです。目の前の子どもはかけがえのない存在です。そしてその子どもを育てていることもかけがえのない働きなのです。
ぜひ子どもたちに伝えていきましょう。あなたが生まれてきたことには意味がある、と。あなたは必要な人間だ、と。この広い世界のどこかに、あなたしか助けることが出来ない人がいる、と。子どものいのちを否定する者ではなく、子どものいのちを誰よりも肯定する者として子どもの傍に立たせて頂きましょう。

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