今週の礼拝説教アウトライン 2022年12月4日 銭谷幸器 

更新日:7 分前

今週の礼拝説教の音声は当ホームページのの「説教視聴サイト」で聞くことが出来ます。本アウトラインと合わせてぜひお聞きください。説教を聞く皆様の上に福音の恵みが豊かにありますように。


2022/12/04 仙台南吉成キリスト教会 説教:主任牧師 銭谷幸器     全文原稿

待降節第二主日説教「神とつながり、人とつながる①」マタイ1:18-25


Ⅰ キリストは何のために降ってきたのか~神とつながり、人とつながる~

 日本の惑星探査機「はやぶさ」は小惑星に出かけていき、その石を持って帰って来るという「サンプルリターン」に世界で初めて成功しました。「はやぶさ」は無意味に60億キロの旅をしたのではなく、その惑星の地表の石を採取してくるという目的をもって出かけ、また帰って来たのです。


 天からこの地に降り、目的を達して天に昇られた方がいます。主イエス・キリスト、神の御子です。御子も無意味にこの地に降りて来たのではありません。やはり目的をもってこの世に降ってこられたのです。それでは、何のために神の御子は人となってこの世に降って来られたのでしょうか。それは、私達が「神とつながり、人とつながる」ためです。


 主イエスはひと組の婚約者たち~ヨセフとマリア~を通してこの世に降って来ました。ふたりが結婚する前に主イエスはマリアの胎に宿ったのです。事情を理解しないヨセフや世間には、マリアが結婚する前に他の男の子供を宿すという姦淫の罪を犯したように見えました。だからヨセフは婚約を解消しようと思ったのです。しかし、神のお告げがあり、ヨセフはこの赤子が旧約聖書で約束された救い主だと知り、マリアを妻として迎えます。


 それまでもヨセフは神を信じ、マリアを愛していました。しかし、このイエス・キリストの受胎を機に、神との関係が新しくなり、マリアとも全く新しい関係に入ったのです。それまで存在していた関係が新しくなってしまう…これこそクリスマス、主イエスの降誕の意味なのです。主イエスは、私たちが神とつながり、私達が人と正しくつながるためにこの世に降ってこられたのです。ヨセフは神とつながりマリアとつながります。マタイは、キリストの誕生を機に神と人が新しいつながりに、人と人が新しいつながりの中に置かれていくことを書いています。神とつながり、人とつながる。このことをルカ福音書では「天に栄光、地に平和」と表現しています(ルカ2:14)。


Ⅱ 降ってきた目的①~私たちが神とつながるため~

 主イエスは私たちを神との新しいつながりに入れて下さいます。ではどんなつながりに与ることが出来るのでしょうか。


 主イエスの誕生により「神がともにおられる(インマヌエル)」ようになります(21節)。この逆の状態が「罪」(21節)です。罪とは何でしょうか。罪とは、「本来、一緒にいるべき人と一緒にいられなくなること」と言えるでしょう。一緒にいられなくなる原因、いられなくなるプロセス、いられなくなった痛みの結果、そのすべてを含んで「罪」といいます。私たちも人生の中で、本来一緒にいるべき人といられなくなるという痛みを経験します。

 

 これは神との関係についても言えるのです。罪は、神が私たちと一緒にいない、いられない状態をもたらします。最初の人間アダムとエバが罪を犯して神に背いて以来、すべての人は神との関係が壊れて生まれてきます。生まれながらの人間は神につながっていないから信頼することを知らないのです。誰かとつながっていることはいのちそのものです。ある高齢の方が、施設に入居して友達が出来たとき、食事の時間が楽しみになったと話してくれました。誰かとつながったとき、私たちのいのちは息を吹き返すのです。失恋やいさかい、絶縁など、本来つながっているべき人との関係が断たれるとき、私たちのいのちは衰え、まるで死んだようになってしまいます。つながりとは、いのちそのものなのです。


 主イエスは私たちが神とつながるため、神とつながった新しいいのちを与えるために降って来たのです。ここに主イエスが肉体を取られた理由があります。主イエスは神と私たちを断絶させている罪を赦すために十字架にかかります。肉体がなければ十字架にかかることは出来ません。だから肉体を持たれたのです。


 私たちの罪はすべて赦されています。だから神が私たちと共にいて下さらない理由がなくなっています。今日、「自分のような者と神が共にいてくれるはずがない」と思い込んでいなかったでしょうか。罪深い自分を見れば、神が自分などと共にいてくださるはずがない、と思ってしまうでしょう。しかし、キリストを見ましょう。主イエス・キリストは私たちの罪を一つ残らず赦して下さったのです。だから、神が私たちと一緒にいられない理由はなくなっています。主イエスを信じると言うことは、この主イエスのゆえに神が共におられる~インマヌエル~を信じることなのです。キリストはあなたと神をつないで下さいました。今週、あらゆる場面で神が共におられることを思い起こしましょう。今週、難しい仕事があるでしょうか。難しい人に会わなければならない。難しい電話をしなければならない。「特に、この場面では神様に一緒にいて欲しい…」。その難しい瞬間、神が共におられることを考えてみてください。一緒にいて欲しい。そう思う瞬間も、神は間違いなく共にいてくださるのです。それが降誕の信仰に生きるということです。そして神とのつながりから人とのつながりが始まります(人とのつながりについては、12月11日の待降節第三主日説教)。


 いつも、いつまでも神が共におられることを思い起こしつつ、この週を生きましょう!





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