今週の礼拝説教アウトライン 2021年6月13日 銭谷幸器 

最終更新: 2日前

2021/06/13 仙台南吉成キリスト教会 主日礼拝 説教:銭谷幸器 

「継続と信仰(後半)」ルカ17:5-10 アウトライン

Ⅰ 「愛されるための善行」ではなく「もう愛されたゆえの善行」

 誰もが大なり小なり、認められたい、賞賛されたい、愛されたいと願って生きています。だから、どうすれば愛を獲得出来るか…多くの行動の背後にはこの動機があります。そしてこの動機は神と私たちの関係にも入り込んでしまいます。そして私たちと神の関係を「取引関係」へと引き下げていくのです。主イエスはこの危険性について教えてくれました。


 主イエスは信仰の歩みについて―なすべきことをなした時の態度について―教えます。主イエスは主人としもべの例えを使いました。しもべが外仕事を終えて帰って来ても主人は特別な労いを与えません。主人とは神のこと、しもべは私たちクリスチャンのことです。神は私たちの行ないに対して特別な反応や態度を取らないというのです。この例話に現わされた神は、一見労いのない冷たい方のような印象をうけます。しかし真意はそうではありません。逆を考えてみましょう。私たちの行ないに大げさに反応する神だったらどうでしょうか。私たちの行い次第で私たちを特別扱いする神だったらどうでしょうか。私たちは自らの行ないで神の愛顧を得られると錯覚しないでしょうか。そして自分の行いで愛を買う、神から見返りを求める「取引関係」に迷い込んでしまわないでしょうか。…「より奉仕をすれば愛される、特別扱いをしてもらえる。」こうして信仰生活は「愛の獲得」が目的になっていきます。しかしここには罠があります。行ないによる愛の獲得に走ると、試練等が生じた時に「こんなに神のために頑張っているのにこの仕打ちは!」となりかねません。こうして神に不満を持ち、つまずいてしまうのです。そもそも聖書が一貫して教えている真理は、行ないで神の愛を買うのではないということではなかったでしょうか。

 私たちが何かをしたから神は愛してくれたのではなかったはずです。神は私たちがまだ神に敵対していた時、神のために何もしていなかった時に御子を下さったのです。行ないに関係なく愛されている。ここが原点です。主イエスは、あえてしもべの善行に反応しない淡泊主人(神)の姿を描くことによって「もう愛されている」という原点に私たちを帰らせてくれたのです。あなたはもう愛されています。今、行ないで神の愛を獲得しようとしていなかったでしょうか。あるいは、行いの少ない自分を見て「自分は愛されていない」と決めていなかったでしょうか。気づいたら、取引関係に入っていなかったでしょう。「愛されるため」ではなく、「もう愛されたから」善を行なうのです。主イエスは、「愛の獲得」のために生きる古い生き方をやめる自由を与えて下さったのです。

Ⅱ まとめ―継続は神の恵みによって初めて可能なこと―

 家庭生活、社会生活、教会生活…私達が続けなければならないことは山のようにあります。しかし、主イエスは力に満ちています。私たちを助けたい、その思いで満ちています。小さなからし種の信仰でイエスのもとに行きましょう。主イエスの御力を頂くとき、きっと継続出来るのです。からし種の信仰で主の御力を頂いて続けていきましょう。主の力によってきっと継続できます。またあなたの隣人が継続を難しく感じているなら、主イエスに触れて新たな力を頂けるという福音を分かち合いましょう。


88回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示